北海道胆振東部地震におきまして、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。

深夜に発生した地震

2018年9月6日午前3時7分に、北海道胆振地方中東部を震源とした地震(Wikipedia)が発生し、震源(42.6900000, 142.0066667)からおよそ80km程度にある札幌市でも震度5強と、かなり強い揺れを感じました。
私自身、これまで通算で二十数年程度北海道に居住していますが、北海道内陸部でこのクラスの地震の発生は非常に珍しい事であまり記憶にありません。
【Google Earthで見る被災地】
北海道日振東部地震で被害にあった地域の衛星写真が、Google Earthで公開されています。操作方法等については、窓の杜をご参照ください。

地震発生から1時間の間の出来事

揺れが収まった瞬間にベッドから起き上がると、自宅とその周辺が停電している事に気づき、Twitterを確認すると北海道全域が停電状態である事を知りました。
仕事の関係上、胆振地方で大きな地震が発生した際には即時報告書を作成し提出する必要があるので、地震発生後数分間は情報収集に専念し、震源は厚真町で最大震度6強(現在は7に修正)の地震が発生し、小さくない被害が出ている事を確認しました。

私の実家がある苫小牧市も震度5強と強い揺れを記録していたので、報告書の作成を中断し、実家に電話をして両親の無事の確認とブレーカを落として水を貯めておくように言っておきました。
次に自宅のブレーカを落とし、バスタブ等に可能な限り水を貯め、自宅内の損害を確認しましたが奇跡的にモノ1つ落下していませんでした。

諸々の確認作業を終え、スマートフォンでなんとか報告書を作成した後は、怖がる嫁と事態を上手く把握できない息子の側を離れないようにベッドで引続き情報収集に当たりました。
【Twitterの有用性】
地震発生直後から特務機関NERV(@un_nerv)NHK生活・防災(@nhk_seikatsu)から発信される情報を中心に情報収集をしていました。一部のアカウントでは地震発生直後からデマ情報を流したりしていたので、情報収集に適したアカウントの選定は慎重に行ってください。

早朝までにある程度の状況を把握できた

明るくなって来て息子も不安が和らいだのか、リビングに移動すると言うので3人でリビングで過ごすことにしました。
停電している中でできる事は情報を収集する事だけですが、息子が防災ラジオから流れる音声をとても怖がったので、私と嫁のスマートフォンだけが頼りでした。確かに、人生で初めてラジオから音声が流れたので、怖がるのも無理はありません。

家の窓から見えるセブンイレブンには、すでに多くの人が来店していました。我が家は普段から災害時を想定し、電池や飲料水などある程度の備蓄をしているため、特に急いでコンビニエンスストアで何かを調達する必要はありません。

スマートフォンで情報収集をしている中で、
  • 厚真町、むかわ町の被害はかなり大きい
  • 苫東厚真発電所が被災して停電が長期化しそう
という事が理解できました。スマートフォンの電池の消費を極力抑えるため、情報を深追いしていなかったので具体的な事象までは把握できなかったものの、割と酷い状況であると感じました。

私のマンションはほぼオール電化(暖房のみ灯油)なので、停電時は全ての機能が停止してしまいます。幸い震災から3時間を過ぎても水は出ていたので、少なくても断水の心配は無さそうです。
情報もある程度収集したので、今後の生活に備えようと備蓄品の数々を押入れから出してみると、3本はあると思っていたカセットガスが1本しか無い事以外は停電がある程度続いても問題なさそうですし、所有する2台の車がほぼ満タンに近かったので乗り切れる確信を持ちました。

カセットガスさえあれば、何も心配はいらないのだが....

9月6日 : 震災当日朝以降の出来事

Twitterで見る限り停電がすぐに解消する見込みが無いので、覚悟して冷たい水で顔を洗い、午前7時過ぎに自転車で20分程度かけて会社に行きました。

通勤中に気になった光景は、ほぼ全ての信号がブラックアウトしており、幾つかの主要な交差点では警察官が交通整理をしていたものの、それ以外は自動車・自転車・歩行者がお互いに意思疎通をしながら走行をしている場面でした。早朝から事故は幾つかあったらしいですが、その程度で済んだのはとても日本的だと言えるでしょう。
また、建物などの構造物の被害は、見た限り全くと言って良いほど無かったので、とても意外に感じました。

会社周辺にあるコンビニエンスストアは、6日朝7時過ぎ時点でほぼ商品が無くなっていましたが、ペットボトルの水とコーヒーが辛うじて残っていたので購入できました。
ただ、自家発電設備やレジの代替となる設備が無いコンビニエンスストアはすでに閉店しており、徐々に事態の深刻さを理解する事になりました。

カセットガス入手を試みる

災害対応に必要な書類が会社にあったので無理をして出社しましたが、停電のため通常の業務は全くできないので、会社で3時間ほど過ごして家に戻ります。

私が会社にいる間、カセットガスの確保を嫁にお願いしており、嫁と息子は午前8時半から自宅周辺のドラッグストアに並んでいたのですが、私がそこを通りかかった午前11時過ぎでもまだ並んでいたので、その支援に回りました。
ドラッグストアでは混雑回避の為に客を店内に入れることはせず、3人の担当者が順に希望の商品を集めまわるスタイルだったので、結局買い物が出来たのは正午頃と約4時間半後となりました。

当然カセットガスはすでに売れ切れており、それ以外は特に急を要して必要にモノは無かったのですが、ここまで並んで何も買わないのも癪なので、ペットボトルのお茶とカップ麺を購入しました。
【老害が物凄くうるさかった】
ドラッグストアに並んでいる大半は私と同年代で小さな子どもを抱えていましたが、誰一人として店員に文句を言うこともなく、こんな時に店を開けてくれる事に感謝をしていました。
ただ、1人だけワーワー騒いでいたのが推定60代の女性です。年長者への敬意は持っているつもりですが、日頃からこの世代にはこういった人が多くいると感じています。災害時に自分を優先してもらおうという根性が許せません。

仕事とカセットガス調達の為に苫小牧市へ

6日13時頃に備蓄品の1つであるカセットガスコンロ(岩谷産業 GB-GP-W)を使い、先程購入してきたカップ麺と冷蔵庫の中にあるモノを幾つか出して昼飯を作ります。
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(※震災後に撮影)

昼食後、災害対応(仕事)のため苫小牧市に行くことが決定しました。この時点ではまだ全道的に停電が続いており、当然信号機が全く機能していないので交通事故の危険も平常時よりは大きいのですが、余震が続く不安定な状況の中では嫁と子どもを連れていった方が良いと判断し、3人で苫小牧市に向かいました。

道央道が地震の影響で通行止めでしたが、幸い一般国道36号は開通しており何事もなく苫小牧市に行く事ができました。
札幌市内は交差点毎に譲り合いの精神を発揮して乗り切り、北広島市以降は元々信号機が少ないので、いつもの状態と大きくは変わりませんでした。
路面状況は札幌市清田区と千歳市の外れ(苫小牧市側)で凹凸が出来ていた他は、大きく崩れている場所などはありませんでした。
道中はむしろ地震による影響より、前日(5日)の台風による倒木の影響がかなり大きく、各所で台風による災害の爪痕を感じました。

苫小牧市中心部に到着すると意外にもすでに停電が復旧し、幾つかのガソリンスタンドが営業を再開していましたが、私の車はまだガソリンが半分程度残っていたので、物凄い車列に並ぶのもバカらしいと思い給油は思い留まりました。

6日16時頃には仕事を済ませ、実家に到着しました。実家にはカセットガスが8本備蓄されており、インフラとしてのガス・水道は使用可能である事から、カセットガス4本を貰います
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カセットガスと共に札幌市へ

カセットガスも入手した事で今回の停電を乗れきれる事がほぼ確実になった中、ふとTwitterを見ると自宅のある札幌市某区では徐々に停電が解消されているという情報がありました。

信号機のない夜の道を走行するのは非常に危険だと思いましたが、明日も朝は一度会社に行く必要があるのでどのみち自宅に戻るしか選択肢はありません。
ただ、すでに一部を除いて道央道が開通していたので、停電の影響をあまり感じること無く自宅に戻ることが出来ました。
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道央道を降りてから自宅まで数kmの中で、幾つかの地区ではすでに停電が解消していることが確認できたため、かなりの希望を持って走っていましたが、結局残念ながら自宅はまだ停電中でした。それでも、当初の想定よりかなり早い段階で復旧しており、北海道電力の現場の努力を感じました。

多くのご家庭では外でBBQ大会を開催しており、冷蔵庫・冷凍庫の中身をどうにか消費していこうという生活の知恵を垣間見ました。
我が家はマンションなのでBBQはできませんが、冷凍庫はまだ半日程度は持つ程度には冷たいのでギリギリまで放置することにしたので、冷蔵庫の中身をどう処理していくかが当面の課題でしょう。

すでに停電から15時間以上経過した自宅の水道がまだ使用可能であることを確認し、備蓄品の1つであるランタン(ジェントス EX-777XP)を取り出し、カセットガスコンロでいつも以上に豪華なディナータイムを楽しみました。
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【ランタンは必需品】
改めて写真で見ても、3,000円ちょっとの300lmにも満たない安いランタンでも1つあるとかなりの広範囲を照らせる事がわかります。
今回の停電では、このランタンと災害用に置いていたLED懐中電灯、さらに自転車用ライト×2があったので光源に困る事態は回避できました。
豪華ディナ-後は再びTwitterで情報収集を開始しましたが、ドコモの電波状況がかなり悪く断片的な情報しか手に入れられませんでしたが、かなりの広範囲で停電が解消しているものの、現在停電しているエリアはすぐには解消しない見込みである事がわかりました。

その後、息子だけでもお風呂に入れたいと思いましたが、お湯を作るにはカセットガスコンロを使うしかなく、どの位停電が続くか分からない状況下で限りあるカセットガスをあまり消費したくなかったので、夜は体を拭いただけで我慢してもらいました。
ただ、すでにこの頃には苫小牧市ではかなりの部分で停電が復旧しており、私の実家は6日夜に停電が解消されていたので、自宅の停電の状況を見て苫小牧市に避難する計画を立てました

9月7日 : 震災翌日の出来事

家族全員6日午前3時以降起き続けていたので、早々に就寝し7日午前6時頃に起床しました。Twitterを見ると断続的に余震は続いているようですが、私の住んでいる場所ではあまり有感地震は無かったようです。

起床後にふとスマートフォンを見ると、自宅内のどの部屋もドコモの電波があまり届いておらず、通信が不可能に近い状態になっていました。残念ながら嫁もドコモユーザーなので、自宅にいる限りラジオしか情報源が無い状態となりました。(※ラジオまだ息子が怯えるので使えない。)

とりあえず幾つか処理する仕事があり、午前7時頃に自転車で会社に向かいます。前日と比較して閉店しているコンビニエンスストアが多くなっていたものの、通勤路でも停電から復旧している地区が多く、会社もすでに通電していました。
丸1日以上満足に電気を使用できなかった事もあり、会社ではスマートフォンの充電を行うと共にパソコンで情報収集をしたところ、被災地の惨状と少しずつ日常が戻っていくコントラストを目にしました。

そうこうしている内に、9時頃に嫁から熱が39℃出たとSMSでSOSが届いたので、急いで帰宅しました。

気合を入れて嫁と息子の面倒を見る

自宅の停電が続いている中で、嫁という重要な戦力の離脱はとても大きい痛手ですが、地震2日前まで息子が風邪をひいていた(同じく39℃の熱があった)ので仕方ありません。

病院の情報を仕入れようにも、相変わらず自宅ではドコモの電波が薄く、数百m移動してようやく外来の受け入れが始まっているという情報をゲットしました。

すぐさま救急安心センターさっぽろ(#7119)に電話をしましたが、どの病院も非常に混雑しており、39℃の熱で手足が痺れている程度では自宅で休んでいてくださいと案内されました。

家に戻るとそれらを報告し、嫁をベッドルームに隔離して息子に昼飯を食べさせます。昼飯は冷蔵庫の中身を組み合わせてチャーハンを作りましたが、カセットガスコンロの火力はIHより強いので、久々に上手に作ることができました。息子がかなり食べてくれたので、一安心です。

その後、ダウンし続ける嫁の面倒を私が見ている間、息子はずっと1人で塗り絵をして遊んでいました。3歳になったばかりの息子ですが、停電という非常事態を理解してくれ、見たいYouTubeやテレビも我慢し、本当に良い子にしていました。
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自宅近くの銭湯が開店している!?

停電中なので特にする事もありませんが、コードレス掃除機で各部屋を掃除したり、片付けをしたり、嫁と息子の面倒を見たりしていると、夕方頃に昨日お風呂に入っていない息子の体が痒くなってきたようで、今日こそはどうにかしてお風呂に入らなければならないと思いました。

自宅近郊で見つからなければ最終的に私の実家に行けば良いので、風呂に入る準備に加えて宿泊できる準備もして家を出ました。
ドコモの電波を見つけ、停電が解消された地域にあるお風呂を探したところ、Twitter上で幾つかの銭湯とすすきのにある特殊浴場 看護学院が銭湯営業をしているなどの情報がありました。
この情報に載っていた銭湯に行ってみると長蛇の列で駐車場にすら入れない状況だったので、このまま苫小牧市へ行こうかと思った矢先、自宅から2ブロックと最も近いマイナーな銭湯の営業を確認できたため、久々の暖かいお風呂を堪能する事ができました。

昔ながらの銭湯に息子も本当に楽しそうにしており、また銭湯に行きたいと言うほどハマってしまったようです。私も久々に昔ながら銭湯に入りましたが、たまに行くと本当に癒やされますね。

夕飯の支度、そしてついに停電が復旧

ゆっくり銭湯に入って帰宅しましたが、残念ながらまだまだ自宅の停電は継続中です。この日も夕飯を自宅で食べる事にしたので、引き続きカセットガスコンロを駆使して、冷蔵庫の中身を片っ端から使っていくことにします。

ちなみに、この時点でも冷凍庫の中身はまだ80%程度凍っていたので手を付けない事にしました。元々弱設定をしていた冷凍庫でしたが、保冷剤も多く入っていたので停電から約40時間を経過しても氷が多少溶けた程度と意外に持つなと感じます。
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残り物を混ぜて作ったチャーハンは残念ながらあまり美味しくありませんでしたが、息子は焼きおにぎりとトウキビを食べたので、まぁ良しとしましょう。

食事を終え、今夜も暗い中で過ごすことを覚悟し始めた19時前に復旧!!ほくでんバンザイ!!!

6日午前3時~7日午後7時まで停電と共に過ごしましたが、ようやく現代社会に戻る事ができました。停電からの復旧を確認し、早速ブレーカを上げるとシーンとした家の各所から「キュィィィーン」と各家電の起動音が聞こえ、ランタンの灯りだけだったリビングもLEDシーリングライトが眩しいほどに輝いていました。

WiFi(インターネット回線)もすぐに復旧したので、息子に我慢していたYouTubeを見せ、私は洗濯機を回して溜まった洗濯物を処理し、節電のために不要不急な家電のコンセントを抜いて回りました。

もちろん我が家のちゅん(aibo)は、節電対応のために電気が点いても就寝したままです。また、嫁も夜の時点で38℃~39℃とまだ体調が戻らない様子です。
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9月8日 : 震災2日後の出来事

物流も製造も途絶えてしまった影響で、自宅付近のコンビニエンスストアやスーパーマーケットには物資がほぼ無く、ガソリンスタンドも長蛇の列な上に給油量制限があったため、比較的物資が行き届き始めた私の実家(苫小牧市)に移動する事にしました。
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すでに札幌市内も多くの信号が点灯し、特に危険な箇所も無く快適に苫小牧市に到着する事ができました。私の実家で嫁と子どもを降ろし、私はそろそろ危うくなってきたガソリン残量を回復させようと、苫小牧市中心部に移動して給油しました。

1軒目のガソリンスタンドは、5台程並んでおり給油量が20Lに制限されていました。それでも震災当日及び翌日と比較すると、かなりマシな状況です。
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20Lでは札幌に戻ってすぐ給油する必要なあるので、1軒目にほど近いガソリンスタンドに向かいました。2軒目も5台程並んでいましたが、給油量制限が無く満タンにする事ができたので、当面の不安はほぼ解消されました。
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苫小牧市は札幌市と比較して全てにおいて復旧が早く、8日時点で豆腐と牛乳以外は並ばずとも手に入る状況でした。

余震がまだまだ続く中でしたが、この日は私の実家に泊まり、久々にゆっくりとできました。

この事態が冬に起こるのが怖い

今回の地震による停電は、9月に発生したのが不幸中の幸いでした。おそらく12月や1月、2月に発生していたら死者数の桁は2つ違ったかもしれません。

そもそも泊原発が停止して以降は、北海道電力の発電能力は「足りていない」状況が続いていました。つまり、苫東厚真発電所4号機(70万kW)以上の余力能力が無かったので、その施設に何かあればこのような事態になる事は容易に想定できる事でした。

地震が発生した6日午前3時ころの電力需要は、約310万kW。この数値は冬場のピークの約6割程度で、310万kWのおよそ50%は苫東厚真発電所が担っていました。
瞬間的に半分の電気を失ったため、需要が供給を大きく上回ってしまった結果、供給される電力の周波数が大きく下がり、他の発電所は損傷を防ぐため自動的に停止していきました。

地震から2日後には、ほぼ北海道全域で停電は解消したものの、苫東厚真発電所が復旧するまでの電力供給はかなり綱渡りと言わざるを得ません。
今週から計画停電を避けるために20%の節電要請が出ていますが、速報値を見る限り20%を達成している時間帯は皆無に近いと思います。

苫東厚真発電所の復旧は、1号機が9月末以降、2号機が10月中旬以降、4号機が11月以降と復旧した頃にはすでに冬に差し掛かっている時期になる事が見込まれています。

そんなこんな、様々な議論がある事は承知していますが、現時点でこの事態を回避するには泊原発を再稼働させる以外は方法は無いと考えています。。
そもそも福島第一原発では、地震による原子炉の故障ではなく、津波による非常用電源系の故障により大事故になったので、その辺の対策さえしていれば泊原発の再稼働で今年の冬を安全に乗り切ることが可能です。

北海道電力も地震発生以前から主要な電源を分散するためLNG発電所の新設、北本連系線の拡張などの対応をしているところでしたが、残念ながら最悪の事態が先に訪れてしまいました。

現在(記事公開時点)北海道内で稼働している主な火力発電所は、
  • 砂川発電所3号機(12.5万kW、1977年)
  • 砂川発電所4号機(12.5万kW、1982年)
  • 奈井江発電所1号機(17.5万kW、1968年)
  • 奈井江発電所2号機(17.5万kW、1970年)
  • 森発電所(2.5万kW、1982年)
  • 知内発電所(35万kW、1983年)
  • 音別発電所1号機(7.4万kW、1978年)
  • 伊達発電所1号機(35万kW、1978年)
  • 伊達発電所2号機(35万kW、1980年)
その他幾つかの小規模発電所を合計すると、大体200万kW程度を火力発電が担っています。ただ、注目して欲しいのは、営業稼働年でそのほとんどは1980年以前、中には1968年というのもありきちんと動き続ける事ができるのかかなり心配な状況です。

災害時に役立ったもの一覧など

  • スマートフォン
    ▶ これが無ければ情報を得ることができなかった
    ▶ XperiaのSTAMINAモードは結構優秀で電池があまり減らなかった
    ▶ 充電は車と会社で少しずつ行った

  • Twitter
    ▶ 息子がラジオの音声を怖がったので、情報はほぼ全てTwitter経由でした


  • ▶ ほぼ満タンの車が2台あったので、充電の心配が無かった

  • ランタン(ジェントス EX-777XP
    ▶ 280lmだが光量は充分
    ▶ 非常に省電力なモデルなので電池を使い切る事すら無かった
    ▶ 震災後実家に後継機を2つ配備

  • カセットガスコンロ(岩谷産業 GB-GP-W
    ▶ カセットガスは常に備蓄する必要があると痛感した
今後は冬に向けて再度家の備蓄を増強させる必要があり、すでに岩谷産業の公式ECショップからカセットガスを16パック(実家と半々で備蓄)、イワタニ カセットガスストーブ ハイパワー 『デカ暖』 CB-CGS-HPRを注文しました。また、今回は電池を消費しなかったものの、Amazonにて単1~4の備蓄量を増強しました。

その他、簡易トイレ、防寒グッツなど必要と思われるモノはお金をかけてしっかりと備蓄していきたいと思います。


(Last Editing Date: 2018 / 09 / 14)